2006年10月11日

追憶のシアター(中)

 シアターと言っても、今度は映画館ではなくある劇場のこと。
 東京都江東区の工場街の一角にあるベニサン・ピット。
 もともと何かの倉庫だった所を改造したらしく、劇場内には備え付けの椅子がない。だから上演する芝居の内容に合わせて、その度に観客席を設置する。
 ある翻訳物の芝居を観に行くと、劇場の真ん中にステージが組まれていて、そのステージを取り囲むような形で観客席が設けられていた。
 芝居が始まると、演じる俳優の向こうに、自分とまったく同じように俳優を見つめている観客が目に入る。そんなに大きな小屋でもないから、演じる俳優の息遣いや体温までも伝わってくるようだし、不意に自分の腹が「キュルル」とでも鳴ろうものなら、俳優はおろか、反対側に座っている観客にまで聞こえてしまうような、そんな緊張感の中で芝居を観るのは初めてだった。
 芝居そのものも緊張感に満ちあふれた素晴らしいものだったけれど、自分を含めた、その芝居を目撃している観客の集中力をも含めて、まったくもってただごとではない息詰まる3時間で、終演後はまるで自分が舞台の上で演じきったかのように、ヘナヘナに疲れ切ってしまった。
 疲れたけれど、観ることを通して、その芝居に参加してしまったような錯覚もあって、本当の意味で芝居を観るってことは、実際それくらい疲れるものなのかもしれないとも思った。
 結局、そのどうしようもないドキドキ感を言葉では伝えることが出来ず、僕は知り合いを誘ってまたその同じ芝居を観に行った。観に行けば当然、前回とは違う席に座るわけで、視点が変われば変わったで、また前とは全然違う芝居に出会ったような気もするのだった。

 よく「芝居はLIVEだ」みたいなことを言うけれど、映画に関してだって同じようなことが言えるのだと思う。
 映画館で観るその一回きりの映画は、その人にとってはただ一度のその映画になるのかもしれないし、違う時間に、違う場所で、あるいは違う人と観る映画は、やっぱり見方も味わいも違う映画になるのだろう。
 きっとそうだし、そうであってもらいたい。  (続く)
 

 
posted by kouta at 21:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
シネマアルゴで観た「12人の優しい日本人」「20才の微熱」、ベニサンピットで観た蜷川幸雄さんの「蜘蛛女のキス」「'92待つ」は私の中でも強烈な印象で劇場から立ち上がれなかった思い出が・・・
最近の映画館はとても綺麗で座席も広くて快適だけど、いつか必ずDVDになって観れるその映画より最初で最後になるかもしれない単館映画を好んで観てしまう
好きな舞台は始まったばかりに観て千秋楽辺りにも観るとまた違った物を観ているみたいでとてもおもしろい
母が浅草生まれ浅草育ちでおばあちゃんの家があるので私は浅草の常盤座というレンガ作りの小屋によく行った
お芝居を見せてもらうのが1番多かったけどその暗くて怪しいその劇場が私は大好きでした
開発で取り壊されてしまい今はフットサルのグラウンド淋しいヨ
観る側にとってもどこで観るかはとても重要です
明後日はいかがわしいエリアの真中にある素敵な映画館で私は何を感じるのでしょうか?
Posted by 滝 史絵 at 2006年10月12日 01:32
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